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もふふさ日記

もふもふ、ふさふさな日記。

成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群 広沢 正孝 

ひとつのまとまりをもった自己が成立するためには、相応の中枢性統合が必要であり、それが弱いとしたならば、断片化された自己(らしきもの)にとどまる可能性もあるからである。

 

PDD者は表象を認知しても、それを心理化する作用が欠けているという。すなわち彼らは、認知したものを、その対象からいったん離れて「自分のものとして」統合する志向性をあまりもたない。

 

中枢性統合の弱い彼らはまた、外部からの情報、さらには自分の記憶や思考、感情すらも、自己固有のものとして統合することが困難である。

 

感情の表出に関しては、たとえばわれわれは「楽しい」体験を他人にかたるとき、それを体験したときの自己の姿をありありと描写し、その描写の中で楽しさという感情(情緒)を託す。ーかれらの説明は、たんなる客観的な事実の羅列となりがちであり、それを聞くものは、「彼らに感情があるのか」という疑念を持つことになる。

 文体は専門家向けで堅苦しいけど内容はあるある感と絶望感が多かった。

アスペルガー者は外部からの刺激や経験を統合して自己の一部とする機能が弱いと。要は魂が貧弱ってことかしら(´-ω-`)

私自身としては、感情を交わす会話をふられても、私の中にその感情が薄いのでその感情を思い浮かべて、それがあるような風をして言葉を返すのにすごいエネルギーが必要だったり、思い出があまりなく断片的な記憶がぼんやりと残っているだけだったり。

統合失調症の症状と似通ったところがあるというのもうなずける。

アスペルガー者が適応して社会でやっていくには、自分がそういう特性を持った人間だと認識して、自動的に反応してしまう行動が本当に適正なのか確認しつつ、その職場にあった仮面を作っていくしかないのか。

アスペルガー者で適応している人の本やブログを読むと、別の人格を作ってそれに行動を委ねたり、ここではこういう行動をするって決めて、それに従って行動をしている人が多い。

普通の人もやってることなんだろうけど、普通の人はその奥にゆらがない自分というものがある、気がする。

リア充な人はその場や人によって振る舞いを変えるのがうまいよね。同じこと言われても人によって180度返答変えたり振る舞いをコロコロ変えるのみると、私はすごく嫌だけど。私は悪い方を向けられるので。

動物か機械か。適応するには、自分のAIの日々のメンテナンスとバージョンアップが必要だ。

ただ、私は感情と欲望をまき散らして自己肯定感に包まれながら今まで生きてこれたんだな~って人間が嫌いなので、そういう人間に対しては素の自分で対応して強烈な違和感を与えてみている。

失うものもなく、人並みの幸せも求めてないので、少しはそういう息抜きがあっても、いいだろう?